2009年10月31日

ピースミュージアムで電車展

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ハーレーが走りまくる長崎港。
閉館間際の駆け込み見物。「新大工町」なんて幕は初めて見た。
この記事へのコメント
新大工町行きなんてあったんだ…。

蛍茶屋の車庫が、ロイホとかのような状態になる前に、折り返し能力が低かったからとかですかね。玉屋とかがにぎわっていて新大工町で降りちゃう/新大工町から乗るみたいなケースが多かったとか?

正覚寺下と思案橋、赤迫と浦上車庫、石橋と築町みたいな関係?

ついWikipediaとかで調べちゃいました。
Posted by O神(仮名) at 2009年10月31日 20:55
昭和46年(1971年)まで存在した、
「電鉄バス(後の虹ヶ丘線/西城山経由ほか)」の
カラーリングってどんなものか
見に行ってみたいものだ。
Posted by デブネコ at 2009年10月31日 21:21
そういえば新大工町電停の蛍茶屋寄りに渡り線があるのが昔から気になってたんですが、あれは新大工町折り返しを想定していたんですね。

それからバックに写り込んでいる「千馬町」の電停名標もよく残ってたな〜と思います。
築町や廃止された入江町でさえ手狭な感じなのに、本線(2車線)×大浦支線(当時たしか1、5車線ほど)の交差点を挟んで「千馬町」の乗り継ぎ停留所があったというのは、今から見ると想像しがたいです。
Posted by kazagasira at 2009年11月03日 01:54
よく見ると「正覚寺下」「思案橋」の両方があるので、それなりの運用をしていたのかもしれません。
新大工町にたしかに渡り線がありますね。大学病院前にもありますね。
Posted by ながの at 2009年11月03日 12:04
「ワンマン」て文字が大々的にあるのをみると、車掌さんが対応していた車両も珍しくないか、ちょっと前まであったかという時期のものなんでしょうしね。

ちなみに、一番下って「長崎駅」?それはそれでビックリなんですが。
Posted by O神(仮名) at 2009年11月03日 23:56
「長崎駅前」幕は、現役でもあります。実際の使用例は見たことがないですが。
ちなみに、今発売中のプレスながさきによると、新しい車両の幕には「大浦海岸通」や「西浜町」もあるんだとか。どちらも現物を見たことがないのですが。
Posted by ながの at 2009年11月04日 21:58
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